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「なんで?」の効用 [頭の整理]

自分も大概、乗馬という行為そのものだけでなく馬という動物も含めた表現として「馬にはまっている」自覚があるが、同様に乗馬にはまっているというより、馬にはまっていると感じる人に出会う事がある。
自分では出来もしない事をさも出来ているように語ったり、知識を披露するのが楽しい口頭馬術家なのではなく、もっと地道なレベルで馬と馬に乗ることを話す人たちだ。

自分が会ったそういう人は、乗って何かをすることだけで満足するのではなく、馬に乗っていて、馬に接していて、ふとしたことに疑問を持ち、理由を解明し、解決したくなる人がほとんどである。些細なことが気になる人とも言えるが、それは神経質なのではなく、ごくごく単純な部分での「なんで?」、「どうして?」という素朴な疑問がきっかけになっているだけのことである。

よく大人がうっとうしがる、子供の「なんで?」の連発とほとんど同じレベルの疑問の持ち方だが、これを大人風に言い換えると「細心の注意を払って根本的な視点で物事を検証する」とか格好良い表現があるかもしれない。
だが、この素朴な疑問を持つという行為には、大人風の言い方が似合う後天的に教育されて得るものと、元々の性分とでも言うべきものがあり、「馬にはまるべくしてはまっている」と感じる人たちは、どうやら元々の性格として「なんで?」人種のようだ。
様々な事に「なんで?」という素朴な疑問を持つからこそ、乗ってただ何かをする事では飽き足らず、その先へもっと深いところへと自然に進んでいくのだと思う。

「なんで?」人種の疑問の持ち方は、連鎖反応的に「なんで?」が続く。

例えば「前回乗って「Whoa」というだけでまったく手綱を引かなくても止まった馬が、今回乗ったら声の合図だけで止まらなくなっていて手綱も引かなければならなかったのはなんで?」と思ったとする。
まずインストラクターに聞いてみる。
仮に「レンタルホースですから、しょうがないんですよ。出来なくなっちゃうこともあるんです」という答えが返ってきたとする。そこでどことなく「へー、しょうがないのか」と納得できれば「なんで?」人種にはならない。

なんでレンタルホースはできなくなることがあるのか。
なんでそれはしょうがないのか。
また前のように出来るようになる事はあるのか。
そもそもはどうやって声だけで止まるようになったのか。

夫々の疑問にさらに「なんで?」が派生する。
人から聞いた答えで納得できなければ、自分や自分の乗る馬、他の人や馬を観察して答えを探し、そうしている間にも疑問は増えていく。

なんで前回乗ったときと今回とで馬の動きや反応が違うんだろう。
どこがどうして違うんだろう。

Whoaといった時は一度完全に止まりなさいと教えられているのに、止まらない人がいるのはなんでだろう。
止まっているのに手綱を引き続けているのはなんでだろう。
あの人とこの人で教えている事が違うのはなんでだろう。
あの人とこの人で同じ馬に乗っても同じ馬に見えないのはなんでだろう。

あの馬とこの馬で乗り心地も、傍目で見た動き方も全然違うのはなんでだろう。
この馬は合図にすぐ反応するけど、あの馬は反応しないのはなんでだろう。
あの馬はじっと立っていられるけど、この馬はじっとしていられないのはなんでだろう。
あの馬は人が近寄ると離れていくけどこの馬はよってくるのはなんでだろう。

どうして自分はこの馬の動きが好きだと思うんだろう。
どうして自分はこの馬を良い馬だと思うんだろう。
どうして自分はこの馬を好きじゃないんだろう。
どうしてこの馬は人から良い馬だといわれるんだろう。
どうしてこの馬は人から良くない馬だといわれるんだろう。

どうしてあんな動きが出来るんだろう。
どこがどう動いているんだろう。

なんでできたんだろう。
なんでできなかんたんだろう。

例としてぱっと思いつく一般的な疑問を上げてみてもこれだけある。並べて書くと変人のようだが、がちがちに理屈っぽいわけではなく、道理に合わないものを認めないわけではなく、ただ単純に感じた疑問を解明したいだけ、実際はうまくなりたいとか楽しく乗りたいとか、ごく一般的な理由で馬に乗っていて、でも性格でつい疑問を持って解明しようとしてしまうだけのことだ。
だがそれが連鎖反応的に続くので、何処かで断ち切らない限り延々と続く。かくして馬にはまる。

けれど、そこで地道に答えを探して考えていく事で、何が良いのか悪いのかの基準が次第に明確になる。馬に乗ること、馬に接する事で得た疑問だから、結局答えは馬にフィードバックしていく。

上達したい、向上したい、結果を出したいと考えている時に必要なのは、行動や結果を分析・検証・評価し、次の行動にフィードバックするサイクルである。これは教育や訓練で意識付けを行い、実践する事ができる。意識して行う分、より系統だって洗練された「なんで?」にあたる。
大体の人はしつけの段階から繰り返しやっていることで、身についていることだと思うが、大人になるにつれ経験則が増えると、仕事以外で意識して使うことはまれになるかもしれない。そして経験則が増えると、どうしても視点の持ち方が素朴なレベルではなくなってくる。それが知恵の方向ならよいが、諦め・割り切りの方向に向かうと、看過する事の方が多くなる。曰く「しょうがない」

その点、「なんで?」人種の基本は好奇心にあるので、基本の視点は素朴なレベルからあまり変わらない。変わったとしても、連鎖反応でブレイクダウンしていくから、結果として素朴なレベルへ行き着いてしまう。
「なんで?」と思うきっかけが多い事で、検証する事柄も増える。
例えば自分の場合、そうして「なんで?」と思い、答えを探し続けてきて、競技者としてはともかく、馬乗りとしてはそんなに酷いわけでもないのではないかと思える。
しかし別に元々意識が高くて向上のサイクルをまわしていたわけではなく、ただ単に「なんで?」人種だっただけである。


物事を突き詰めていくのに素朴な疑問を持つ効用は大きいが、難点が1つ。
研究職や仕事上の成果の追求でもない限り、一般社会では、同じ「なんで?」人種か、延々続く「なんで?」を許容出来る相手でないと、中々付き合ってもらえない。
特にお仕着せの行動を要求する社会では、「なんで?」人種は煙たがられるどころか、はっきりと嫌がられる。
素朴な「なんで?」に対応できるだけの知識と、経験と、行動がないと、自分の立場を危うくするからだ。
残念ながら世の乗馬クラブではいまだにそういうところが多いようで、素朴な疑問を突き詰めたがる性格を発揮できず、つまらなくなって馬から離れる人も多く居るのではないかと思う時がある。



352097
なんでTuckはShowingが終わるといつも鼻を鳴らすんだろう。とか。
明確な答えのない問いも多い。
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